恋 金 橋(こいがねばし)
むかし、久野脇(くのわき)の名主 槙エ門の家に、おつま という一人娘がおりました。
おつま は 家族皆から可愛がられ、 大事に大事に育てられました。
でも、大地主の一人娘 大事な跡取り娘です。
両親からは跡取りとし厳しく躾けられていました。
それでも、毎年一月七日の佐沢薬師様のお祭り、ヒヨンドリ祭の日だけは特別でした。
その日だけは、夜遅くまで祭を楽しむ事を許されていました。
或る年の、ヒヨンドリ祭で、地名(じな)の 甚太という若者と知り合い、二人は いつしか愛し合うようになりました。
毎日、夕暮れになると、 甚太は 地名 からタライのような桶の舟で、 おつま に逢いにいきます。
嬉しそうに渡し場で 甚太を待つ おつま の姿が有りました。
二人のことは、すぐに、村人たちの噂になり、 やがて 槙エ門の知るところとなりました。
カンカンに怒った 槙エ門は
「おつま お前はな、 この家の大事な跡取り娘だぞ。 いずれは良い所から婿をとり、この家を継いでもらわなければならない。 甚太のような 水呑百姓の こせがれと、こっそり付き合っていたとは何事だ。今後一切逢うことは許さん」
それからは、目を光らせて外出を許しませんでした。
おつま は 泣く泣く部屋に引きこもっていたが
「甚太さんに逢いたい。 甚太さんに逢いたい。」
夕方になると
「今日も、甚太さんは 私に逢いに来てくれているだろうか。私が行かないので心配しているだろうか。
もう帰ってしまっただろうか。このままだと甚太さんは私を嫌いになってしまわないだろうか。」
考えるのは甚太の事ばかりです。
(そうだ、神様にお願いしてみよう。お薬師様に甚太さんに逢えるよう、お願いしてみよう)
その夜、皆が寝静まるのを待って、そっと裏口から抜け出すと、暗い夜道を必死になって薬師堂まで登っていきました。
「お薬師様、どうか甚太さんと逢わせてください。 お願いします。」
甚太に逢いたい一心で お祈りする。
おつま の 願掛けが始まりました。
雨の日も風の夜も、小雪が舞う寒い夜も、一日も休まず通い続け祈りました。
或る晩のこと、お薬師様が おつま の夢枕にたち
「おつま よ。 お前はなんと心根の優しい娘だろう。 明日の子の刻、お堂の前まで来るがよい。」
それだけ言うとお薬師様はスーッと消えてしまいました。
おつま は、昨夜の夢のことを誰にも話せず、不安な一日を過ごしました。
その日、父 槙エ門は 近隣の名主さんたちの寄り合いがあって出かけた。
昼過ぎ、代官所に届ける上納金を預かって家に帰ってきました。
振舞酒に心地よい気持ちになり、そのままごろりと横になって寝てしまいました。
夕方近くに目をさまし、懐に手を当て
「アッ 無い、 金が 無い、 胴巻が無い」
驚き、慌てて辺りを探したが見つかりません。
青くなって、使用人達と あちこち探したがどうしても見つかりません。
家中大騒ぎとなりました。
そんな騒ぎの中、子の刻はだんだんと近づいて参ります。
おつま は、父親の事が心配でなりませんでしたが、そっと家を出ると、急ぎ薬師堂へ登って行きました。
すると、お堂の前に人影が立っています。
木の陰から、目をこらして見ると、それは 甚太さんではありませんか。
「甚太さん」
おつま は夢中でそばへ駆け寄りました。
「おつまさん」
甚太も駆けてきました。
「おつまさん どうして此処へ」
おつま は昨夜の夢のことを話しました。
「不思議なことがあるものだ、 おらも 夕べ同じような夢を見て、ここに来てみたんだ」
二人は、「これはきっと、や薬師様が逢わせてくださった」と思い、何度も何度もお礼を言いました。
「さあ、こうしても居られん、おら達どこか知らない土地へ行って、二人で暮らすことにしよう。」
と、手を取り合って渡し場の方へ降りていきました。
人に見られてはと、周りを気にしながら歩いて行くと、おつま は、何かに躓いて転びそうになりました。
「あっ 有った お父つぁんの胴巻」
おつま は、昼間の出来事を話しました。
「そんな大事な金、お父つぁんが困っている、 すぐに帰らざぁ」
甚太に言われ、二人は急いで家に帰った。
家には、疲れ切った父親が座っていた。
おつま は、そんな父親の姿を見たのは初めてでした。
「お父つぁん 胴巻が有ったよ。」
「おつま・甚太 どうしたんだ。なぜこの胴巻をお前たちが持っているのだ。」
「甚太さんに逢わせてくださいと、毎晩 お薬師様にお願いしたの。
今夜、薬師堂の前で逢え、二人で知らないところで暮らそうと歩いていき、渡し場付近で胴巻を拾って、
甚太さんに訳を話したら、お父つぁんが困っている。 すぐ 帰らざぁと言われ、二人で帰ってきたの。」
「分かった 分かった。 わしは、財産さえ有れば人は皆幸せだと思っていた。
二人の事も、おつま の幸せのため許せないんだと思っていたが、間違っていたようだ。
二人には、長いこと、辛い思いをさせてしまった。申し訳ない。 許しておくれ。」
と涙ぐみながら二人の前に両手をつき謝りました。
「甚太くん。 わしからも改めてお願いする。 おつま と一緒になってこの家を守っていってくれないか。」
こうして、おつま と甚太は皆から祝福されて夫婦になりました。
二人の結婚式は、それはそれは盛大で三日三晩続いたということです。
それからは、働き者の甚太は勿論、おつま も甚太と一緒に朝早くから夕方暗くなるまで畑に出て働き、子供にも恵まれ
家は益々栄え、末永く幸せに暮らしたそうです。
そんな事から、誰言うとなく、胴巻を拾った渡し場付近を
「恋金」
と呼ぶようになりました。
二人の出会いが、ヒヨンドリ祭の夜だったと知った村人たちは、
早速、ヒヨンドリの唄の一つに、こんな唄を加え、長い間歌い踊ってきました。
"地名の甚太が来るそうで 川の瀬が鳴る 桶が鳴る"
でも、残念なことに、今ではヒヨンドリの唄を歌える人、音頭出しが出来る人が居なくなってしまったそうです。
佐沢薬師様のお祭り、 ヒヨンドリ祭は、今でも一月七日の夜行われていますが、
昔のように、皆が肩を組み、火の廻りを一晩中歌いながら踊ることはできなくなってしまったそうです。
それから、もう一つ。
塩郷(しおごう)と久野脇(くのわき)に架かるつり橋。
この つり橋は、大井川に架かる一番長い橋です。
その橋の名は「塩郷の吊り橋」と言います。
又の名で
「恋金橋」と呼ぶようになりました。